東日本大震災被災地視察 2016

2016.04.09

  • 阿部建設の仕事

本日~明日にかけ、東日本大震災被災地を今年もYMCAのボランティアの方々と訪れてきました。
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今年は福島第一原発にどこまで近づけるかを主眼に、放射能の影響の残る地域を中心に訪れてきました。
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1日目は早朝にセントレアを経ち、仙台空港から無人の町となっている相馬市小高駅を訪れました。
阿部建設には万が一に備えて建材の被爆線量を測るため、線量計を用意しており、それを今回持参しました。
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小高駅前に設置された二つの線量計。
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右側が調整中となっており、表示がされていません。
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案内者の話によると、計器の違いから右側が高く表示されるタイプの線量計であったため、使われていないとの説明でした。
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表示されていた線量と当方の持参した線量計とほぼ同程度の数値。
名古屋に比べ、2倍程度の空間線量です。
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除染も進んでいますが、5年経った今でも小高駅周辺は夜間人が立ち入ることのできない地域となっていました。
次に訪れたのは原発から20キロ程度に位置する高台移転を果たした災害復興住宅。
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ここで震災当時、消防団の避難誘導に向かう39歳の息子と夫を見送り、その後この2人を亡くした阿部洋子さんのお話をお聞きしました。
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地域では150軒はどの家屋が津波でほぼ全滅し、300人余りの方々の命が失われました。
気丈に話す阿部さんでしたが、息子さんを亡くした話になると、涙を抑えきれずにおられました。
私は阿部さんに5年が経ち、「被災された方々の今の願いは何ですか?」
もう一つ「地震で倒壊した家や亡くなった方はおられたのですか?」と2つの質問をさせてもらいました。
今の願いについては、「堤防や港、住宅や漁船など一定のハード面におけるものは整いました。今後は心のケアー、絆を取り戻す活動や取組に力を注ぎたい」とおっしゃっていました。
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ハード面は整いつつも、まだまだ心に傷を負った方々もおられ、ソフト面における部分を地域の方々でケアーしたり、解消に取り組んでいると話されていました。
二つの質問については「倒壊や倒壊によって命を亡くした方は聞いていない」とおっしゃっていました。
やはり、津波が地震被害を拡大していました。
夜は近く漁師食堂で参加者と懇親を行いましたが、まだまだ地の食材は使えず、北海道の魚介を使っておられました。
2日目はいよいよ福島第一原発に近づきます。
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近づくにつれ、線量計の数値が上がっていきます。
最初低レベルと表示されていた線量計は中レベル、高レベルと画面が黄色から赤色に変わり、福島第一原発の建屋が見える2キロのところうまで着た段階で、6マイクロシーベルト程度まで上昇しました。
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WHOの健康被害が懸念されている数値は1マイクロシーベルトで1年間暮らしす範囲と聞いていますので、長期間ここで暮らすことはできません。
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2日間私が浴びる放射線量はニューヨークに飛行機に乗って出かける程度であり、健康的被害はないというレベルです。
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また、20キロ程度圏内では車から降りることも厳しく制限されています。
庭先や田んぼには除染で出された土のう袋が積み上げられていました。
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中間管理施設と言うものの、かなり長期に渡って保管されることは間違いないようです。
民家の入り口やわき道にはゲートが設けられており、盗難対策が施されていました。
また海岸近くには大規模なソーラーを設置しているところうも目立ちました。
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住んだり、農業が出来なくなったところうではこうしたメガソーラーが次々と建設され、地主に地代が入る仕組みが進んでいる地域もあるとお聞きしました。
次に訪れたのは郡山市南仮設住宅を訪れました。
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ここでは仮設住宅に住む方々の作った昼食を頂き、川内村 村議にお話をお聞きしました。
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インフラ整備は進んでいるものの、補償の格差や放射能への不安から、帰還を諦める方々も出てきてあり、今後は生活再建への筋道を立てるのが今後の復興の進めべき方向であるとおっしゃっておられました。
最後に訪れたのは、同じ郡山市で活動するお母さんたちの自助組織を訪れ、代表の方からお話をお聞きしました。
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国や市など、放射能の影響はほとんどないとの方向に進みつつある中、放射能に対する不安が払拭できないお母さんたちも多々存在し、その受け皿的活動をされています。
私はこの2日間、改めて東日本大震災復興の難しさを感じ取ることになりました。
これまで震災以来、3度被災地を訪れています。
過去3度訪れた地域では放射能について、ほとんど懸念を感じない地域でした。
今回訪れた仙台市より南側の相馬市におよぶ地域では、「地「震×津波×放射能」といった三つの要素が復興を複雑化させ、復興速度をより鈍らせることとなっている現状を見て取れました。
ハード面からソフト面な復興の形が変わる中、私たちはこの現状を正しく伝えると共に、まずは地域を訪れることで復興につなげたいと強く感じました。