東区の親子大工
阿部貞一は1909年、名古屋の東区で生まれました。父親は大工でした。日本は世界有数の木造建築の国で、大工はとても人気のある職業でしたが、父はまだ若く、下請けの仕事しかできなかったため、貧乏ぐらしでした。
貞一は学問が大好きで勉学熱心な子どもでしたが、尋常小学校卒業後は進学を諦め、父の仕事を手伝うことになりました。頭が良く真面目な貞一は父の指導のもと、どんどん大工の腕を磨きます。1927年に金融恐慌、1930年には世界恐慌が起こり、日本も深刻な不況になりましたが、親子には順調に仕事が舞い込んできました。金城女子専門学校(現金城学院)や名古屋電気学校(現名古屋電気学園)も彼らの仕事です。
貞一が家業を継いだのは26歳の時。「建設業(請負業)は大きくなると、できものと同じでつぶれてしまう。決して大きくしてはいけない」とは、このときの父の言葉です。